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京都造形芸術大学

それは手のひら大学からはじまった

知ることの喜び

 この春から美大生になりました。

とは言っても通信制です。最近広告でよく見る ”京都造形芸術大学” の写真コースに入学したのです。実は以前から美大に行きたいという想いはあったのです。どうしたら通えるか、可能な方法を何度か調べましたが、現実的、金銭的な条件から幾度となく断念していました。

 通信制の美大も調べてみると何校もあるのですが、現在もっとも興味のある写真学科のある学校は、京都造形大しかありませんでした。

 なぜ美大にいきたいと思ったのか?

それは自分の強みを作りたいと思ったからです。世の中は効率的に学び、最短で投資回収するような情報ノウハウに溢れています。これまで自分も、そういった集まりには何度となく参加してきました。職業訓練的に効率よく学ぶ経験です。足を運んで話を聞けば、学べることも多少はありますが、「何か違うなー」という感覚をいつも抱いていました。

 短期間で学べる知識は、インプット時間が短いので、アウトプットできる情報も表層的ですぐ底をついてしまうのでしょう。さらに自分だけでなく、他の誰でも同様のノウハウを簡単に習得できてしまうという欠点を含んでいます。

 写真のことで言えば、テクニックを教えてくれる学校や書籍は山ほど存在します。いわゆる綺麗に写真を撮るための情報は、巷に溢れかえっているのです。

 しかし本質はその先にあります。「なぜ写真を撮るのか?」「なんのために写真を撮るのか?」「何を表現したいのか?それともしたくないのか?」そのあたりの想いを自分なりに解決しなければ、いくら写真を撮り続けていたところで、なにも残すことはできないでしょう。

 私はその壁を超えるためにも美大に行きたいと思ったのです。

 そして、この春からようやく、やりたかったことに一歩踏み出すことができました。

で、入学してよかったか?そうでなかったのか?

 それは、正直なところ、これは嘘でなく、「本当に入学して良かった」と思います。きちんとした入学試験もなく入学した通信制の美大なんて、、というイメージもわかります。でも造形大の通信制はおもしろいです。そして厳しいです。厳しいからこそ面白いと感じるのです。

 おもしろさの一つ目として、教材テキストのおもしろさがあります。

 

 教科書はとてもよくできていると思います。教科書ですから、頑張って読むものというイメージだったのですが、そうではなくて読み物としておもしろいです。家を出る前に自然と手にとってカバンに入れてしまいます。移動中に読みたいのです。残念ながら市販されていません。

 おもしろさ二つ目として、添削がとても丁寧です。そして採点が厳しいです。

 

 あ、その前に、提示される課題がなかなかの難題です。そんなに簡単に取りかかれるような課題ではないのです。どう取り組めば良いか?どういうアプローチですすめればいいか?自分なりに悩み、そして決断し、制作する。そんな流れで課題をこなしていくことを、繰り返していきます。そして悩んだ末のアドバイスとして、添削が帰ってくるのです。ゆえに単位認定されたときは、かなり嬉しいです。

 おもしろさ三つ目として、スクーリングがあります。

 

 スクーリングって、和製英語ですかね。かならず単位を取らなければならないスクーリングは、土日2日間を外苑にある京都造形芸術大学×東北芸術工科大学の東京分校と呼べる施設、藝術学舎で、朝9時半から夕方18時まで、途中お昼休憩はあるものの、終日集中して講義を受ける学習のことを言います。この2日間に、テーマとなっている手法を用いて、課題制作、発表を行い、講評をうけるという講義です。どんな講義をするかというと、これまで受けたスクーリングを例にあげると、「コラージュ」「ピンホールカメラ」「クリエイティブ」などがあります。

 

 それ以外にも「ライティング」とか「著作権」とか、「4×5実習」とか多岐にわたります。まだ伝わっていないと思いますが、スクーリングという短期集中の異空間に強制的に閉じ込められる体験。そしておおよそ18時間ひとつのテーマについて考え続ける経験。さらに言いたいことは、設定されるテーマが自分にとって、知らなかった新たな可能性、すばらしさを感じさせてもらえるテーマであることなのです。

 

 はじめて受けたスクーリング科目のコラージュでは、雑誌を切り取って、切り抜いて、貼り合わせていくという体験を通して、自分の中で「あ、」という感覚が芽生えました。これは自分にしかわからない独特の感覚なのですが、ある事がその時点で出来ない、その時点で知らないという状況であったとしても、自分の中で「あ、」というこの感覚さえあれば、それ以降いままでなかった可能性がとてつもなく広がっていくのです。その感覚を通して自分の可能性が開けるのです。

誰かが、コラージュをやっているのを見ていただけでは絶対に、その感覚は得られないでしょう。

やはり、見るのとやるのは大違いなのです。

同じようなことがピンホールカメラという課題でもありました。こんな短期間に立て続けに

この感覚を得られるんて。。

 ただ、卒業までは、まだまだ長い道のりです。楽しいことは厳しいことなのです。いや、厳しいからこそ楽しいのです。今はひとつひとつ課題をこなしていく事を楽しむということを続けていくしかありません。

 最後に、やはり生きる喜びのひとつに「知る」事があると思います。すぐには活用できないような、現在では非効率といわれるようなことを知ることによって、自分が他の誰でもない自分として存在できるのだろうと思います。そしてそんな遠回りすることが、もっとも近道であるような気がしています。