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美術大学での学び

正解のない世界で泳いでいくこと

バライタプリントについて書こうと思っていましたが、内容を変更することにします。

 これからしばらくシリーズで、この京都造形大学での学びについて、その時感じたことをブログに書いていこうと思います。きっかけは造形大の先輩が大学でのレポートについてブログで綴っているのを見つけたからです。課題に向き合っているとき、どんな些細なことでも情報が欲しいと思うことがよくあり、先輩のブログがとても参考になった事がきっかけです。

この春に通信制の大学生活2年目をむかえ、新学期の第一回課題提出期間に3科目同時提出を計画しています。写真演習Ⅲ-1(ポートフォリオ)、写真演習Ⅲ-2第1課題(タイポロジー)および第2課題コンストラクテッドフォトの同時提出です。

私のケースでは、1年目の時間に余裕のあったときのペースよりも、卒制をまじかにした時間に限りがある今のほうが課題制作のペースが早っています。1年目も全力で課題制作して来ましたが、ペースをあげている現在でも同じように課題に真剣に向き合っている前提でのことです。

 私は2年で卒業することを公言しているので、自分のスケジュールにしたがって課題提出していく予定です。しかし正直なところ本当にそのスケジュールで良いのか、違和感を感じる時があります。提出した課題の評価はともかくとしても、自分がとことん納得できるまで課題と向き合ったのかどうか、課題を通して学びがあったのか、課題を通して新たな知識を自分のものに出来たのかどうか、そういった納得感を得ることのないまま課題をこなしてしまっているのではないかという自問自答です。もっと時間をかけて課題と向き合うべきなのではないかと思う時があるのです。様々な犠牲を払って美大に通う目的は、学ぶためであり成長するためです。決して単位取得が優先ではありません。ですから卒業までに時間をかけることも選択肢のひとつだろうと思います。

 

 私はこれから卒業制作に入っていくにあたり、まずやらなければいけないこととしてポートフォリオ制作があります。自分の代表作となる写真を形にしていく作業です。

これまでの1年間どのようにポートフォリオをまとめていくか色々とイメージしてきましたが、まだ形になるには程遠い状況です。具体的な形にまで膨らませることができていませんが、いくつか試してみたいテーマだけは見つけることができました。それらのテーマの中から、実際に写真に撮ってみながら作品まで膨らませるアイデアがあるかどうか試行錯誤を繰り返しています。

(ちなみにこれまでの依頼仕事をまとめた実績BOOKをポートフォリオと呼ぶことが多いですが、ここでは自らの意思で複数の写真をまとめたものをポートフォリオと読んでいます。)

 

 私はポートフォリオを作るにあたってイメージを膨らませては萎み、また膨らませては萎んでしまいの繰り返しの中で、作品作りは無駄を削っていく作業だという感覚を持ち始めています。余計な物を省いてさらに省いて、もう取り除くことができないところでようやく自分の写真が生まれてくる、そんな感覚です。削る作業を通して生まれてきた自分にしかない写真と、自分自身との距離をなるべく近くできれば、それが将来にわたって自分の代表作だと言える作品になるでしょう。

写真と自分との間に嘘がないこと、無理がないこと、さらに自分のためだけでなく見る人にとっても共感できる何かを含んでいること、試行錯誤しながら築いてきたマイルールにしたがいながら、まずは現時点でのポートフォリオを完成させることが先決です。

 ポートフォリオを作るということは、公に自分の写真を発表することです。これまで自分のためであった写真が、不特定多数の目にさらされることになります。人に観られるということは批判も含めて自分の写真に責任を持つということです。誰になんと言われようと自分が自分の写真を裏切らないこと、そこまでの覚悟と自分の写真と自分自身との同化を目指していきたいです。

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